1988年、知人の勧めで個展を決意し、「墨と淡彩の夫婦二人展」を大阪市内の画廊で開催。当時、これからの熟年ライフの先取りとマスコミに取り上げられ、1年ちょっとの間隔で開催をつづけた。全国紙・誌にも報道されて東京・新宿での画廊でも開催した。
極み付けは1993年の「熱田ファミリー・ネパール展」であった。書道、水彩画に加え、染織アート、写真、ヴァイオリンで「ネパールの生活文化」をテーマに発表した。
大学教師に転職した1995年から、画廊での個展は結果的にやめて、「写生の会」という絵画同好会をつくり、スケッチ旅行を定期化した。このグループ展を大阪市内の会館で開催し、定例化しつつある。このグループ展の来場者で、アートプロデューサーである方と知り合い、2006年8月末近鉄百貨店阿倍野店アートギャラリーで「〜光と風の旅情〜熱田親憙 水彩画展」開催の運びとなり、画業の道を志すことになった。
画業の決意には2つの意義を感じたからです。
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現在、ネパールの風土病「ヨード欠乏症」のNGO支援活動を続けている。このプロジェクトを継続するための資金捻出に、個展活動は資金生産拠点になること。
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NGOボランテイア活動とテーマをもった旅行を通して、残して置きたい自然環境の佇まいとそれを感ずる感性を、絵画によって後世に伝えることができる。